「蕎麦行脚(メモランダム・都内23区篇)」

 私が静岡家裁島田出張所の遺産分割調停事件に出頭する様になって発見した東海道は島田の宿(大井川の渡し)の「薮蕎麦」を日本一の蕎麦屋ではないかと思ってから(ここが私の蕎麦開眼の場であった)、それが自分1人の独断と偏見である事を虞れ、それならば日本中の名の知れた蕎麦屋さんを横一線に食べ歩いて見ようと、私の蕎麦行脚は始まった。
 それで先ず、何処の店から始めるかであるが、先ずは巷間広く知れ渡って居る所から始める外はない。
 一応東京都内で有名なのは薮御三家と言われる神田の薮、浅草雷門並木の薮、上野池之端の薮である。創業100年以上を誇る神田の薮はその店構え、特に瀟洒な小庭と店内の玉石を埋め込んだ三和土と上り小座敷のバランスの取れた空間構成は誠に良い雰囲気であり、更に客を迎える御女中衆の一斉に声を合せてイラァ〜シャ〜イと長くハーモニーを引っぱる様、或は帳場から調理場に「何番さん、せいろ参枚に天ダネひと〜つ」等と註文を通す時の声音は、一種歌舞伎の世界にも似た様式美を感じさせ、これは他に例がないものと思われるが、さて、肝心の蕎麦の味であるが、これは私の好みではない様である。夏でも薄緑色をした細くキチンと長いそのそばは歯触りにシャキッとした腰が感ぜられず、喉越しにかっぱじる様な爽快感がないのだ(そばののど越しの清々しい感じ、爽快感を足利一茶庵の名人と謳われて居る友蕎子片倉康雄氏は「のどをかっぱじく」と表現している)。
 並木の薮、此処は若い男衆ばかりがホストして呉れる。なにしろ日本中の蕎麦屋さんの後継ぎがこの店を信奉して修業に来るのだから人手は豊富である。さながら永平寺の修業者が集って居る感すら与えるが、そのサーヴィスは良く、客が席に座るとサッとスポーツ新聞を持って来て、「暫く御待ち下さい。どうぞその間これを御読み下さい。」と丸で男性用美容室張りのサービスも斯くやと思わせるものだが、さて御味の方だが、汁の辛さが強烈過ぎである。あの落語のそば通が死際に「俺も一度そばを汁にタップリ付けて喰いたかった」とか言う話(時そばの枕に語られるらしい)は、此処並木の薮汁の辛さからすれば、そば汁ははしでつまみ上げた蕎麦の先端3分の1乃至4分の1にからませて、その状態からツルツルカーッと喉を通過さすのが本来的なものであると判るのであって、結句この噺家は並木の薮でそばを食べずに喋って居るものと言わなければならない。そばの方も私にはあまり頂けないと思う。
 池之端の薮、上野鈴本演芸場脇の仲町通りを入って行った左側に小さな泉水を設えた入口がある。入ると左側が椅子席、右に上り小座敷が半々にある。ざる(のりなし)2枚を註文すると、1枚は御替りとして多少遅れて来るのは感心だが、そばはあまり良くなく、汁も少し甘過ぎる。
 この薮の手前には今年(1989年)秋創業130年とかでモダンな店構えに建替えた蓮玉庵がある。落語家や一般のファンも沢山居るとの事だが、汁は仲々深味があって佳味だがそばはあまり良くない。伝統としてそば打ちの方が引継ぎにくいと言うことだろうか。神田の薮の靖国通り側には、これもかなりのファンを擁する「松屋」が在る。あまり特色あるそばとは思われない。或るそば専門の雑誌で玉三郎が此処の天丼を誉めて居たが、あれはそば屋さんには名誉な事なのだろうか否か心配して居る次第である。
 次に、麻布十番の「更科」も有名であるが、此処近辺には3軒の「更科」があるものの、所謂更科御三家とは言わない。
 麻布十番の商店街の真中にある「総本家更科」堀井布屋太兵衛の真白な御前そばは所謂更科そばと言われるものだが、見た目にはそうめんの様であるが、矢張り歯触り喉越しはそばの一種であって、これに2種類出て来る汁の内甘めの方をや々たっぷりからませて口中にすすり込み、二口三口噛んでツーッと呑み込む。全体の感じが軽くて仲々幸せなそばではある。それに対し、生粉打ちそばは黒く太い所謂田舎風のものであるが、此処のは太さも切り方も、又色合も非常に洗練されて居る。そばの風味と言う点からすれば、こちらの方が豊かであるが、その太さからして汁のからみは良くなく、口中では多少モソ付いて一気に呑み込み難く、従って、爽快感を味合う手のものではない。
 商店街突当たり近いビルの1階に総本家の分家があるが、味も分家並である。
 又、商店街の外の大きな交差点角には「更科本店」がある。此処は総本家更科と裁判でその看板を争った事のある店とかだが、そこの御膳そばは矢張り白い更科そばだが、総本家の御前そばの方が上等と思われる。
 いずれにしても、右の麻布の更科の何処かで軽くそばをたぐったら(ジャズピアニスト山下洋輔氏の表現)、その帰り足を麻布狸穴はソ連大使館の方へ向けれぱ、大使館脇の狸穴坂を上った所に「狸穴そば」が在る。経営者の御名前は薮本さんとおっしゃるのだから店名も「蕎麦薮本」でも佳かろうと思うのだが、地名の方から採ったのであろう。私は通常そばを食べ歩く際には、どの店でも「もり」か「せいろ」しか註文しないのだが、それはそばと言うものは一旦茹でて冷水に晒した後は、これを再び熱い汁に入れるのはそばがふやけるという罪を犯し易いので冷めた侭、且つ、そば以外の添物はそば自体の風味を味合うのに余計なので、種物でないものという事で単純率直なそばそれ自体の「もり」を註文する次第なのである。
 然し、此処「狸穴そば」では「かけ」を頼む事屡々である。と言うよりは「もり」と「かけ」を一緒に頼む。それは「もり」は何時もの常法としてであり、「かけ」はこの店独得の関西風のだしの味付けが非常に風味があるからである。この「かけ」そばには普段矢張り使わない七味とうからしがとても合うので、此処へ来るとちよっと懐しい様な気がして「かけ」を頼むのである。この御店の建物はそば屋さんでは他に例を見ない数奇屋風で、冬の枯れた小庭に面した離れの風情は、到底東京の真中に在るとは思われないものだ。
 さて、東京で老舗と言われて居る店では、なんと言っても神田駅南口近くの室町「砂場本店」が一方の雄である。店全体は立派な鉄筋コンクリート造りでも、店内は明治、大正期の錦絵に見る事の出来る様な昔懐しい雰囲気を良く残していて、客筋もなんだか下町・昔風で、その店内のさんざめきは、あの神田薮の様式美とは違った一種独得の完成された姿を示して居る。そしてそのそばであるが、その「特製ざる」が秀逸である。それは同店の普通のもりと較べて相当色白の(但し、更科そばと言われる程ではない)細切りのものであって、のりはのっていないものである。このざるそばをや々辛めの深味のある汁に少し付け、先ず汁の付かぬ上方から口中に啜り込むと、後方から汁のからんだ部分が遅れて到着する。両者合体した所で二口、三口噛むか噛まぬかで、喉元深く滑り込ませる。その喉ごしの爽快感。一瞬の幸せ。熱いそば湯をそば猪口に注ぎ、その為に少し残して置いた薬味を入れて混ぜ合せて、ふーっと一息吹いてからこれに口を附ける。薄く伸びただしと醤油の味と薬味の新鮮なちょっとした辛味。温かいそば湯の優しさ。これは2度目の幸せである。
 室町から日本橋の方へ来ると「薮伊豆総本店」がある。此処は名前と店構えから期待される旨さは全くない。これなら、この系統から出ていると言われる東京弁護士会地階の「みとう」の方がむしろ構えた風もなく旨いと言えるだろう。そして、法務省1階の「薮伊豆」も安くて旨いという、安い方にウエイトを置いて、ほぼ肯定出来る所であろう。
 銀座吉田(資生堂パーラーから1本裏通り)も老舗で名が通って居るらしいが、そばは大した事はないと思う。此処の鴨南蛮は花柳章太郎の好物だったとかなので、私としては珍しく種物として試して見たが汁の辛い事に閉口したが、全体としてはまぁまぁと言う所で、あまりそばに打込んだ店ではないと思う(人によっては此処のコロッケそばが旨いと言うが、私は試していない)。それならむしろ、新橋に若しかしたら東京一かと思われる(そう思えない日もあるが)「本陣房」がある。日本石油本社並びの小さなビルの地階にあるが、昼時は室町砂場と同じく行列が出来て常に満席である。此処は本格的手打そばを標榜して居るが、その意気込みは、そのそばに充分打ち込まれて居ると感じられる。此処のせいろもりは2枚重ねで出て来るが、細切りで都会風の繊細なもので、割合さらっとした汁とも良くからみ、食べて見て爽快感のあるそばである。食後のそば湯スープ佳味である。又、この店は変りそばも季節毎に違えてやって居るが、夏場のしそ切りは、紫蘇の葉を打ち込んだもので、そばの腰がしゃきっと強く、紫蘇の風味と共に清涼感溢れたそばとなって居る。
 西新橋迄来れば、「虎之門砂場」、琴平町の「大阪屋砂場」があるが、いずれも機械切りの長いそばであまり頂けず、これならば烏森神社の鳥居前通りの「美寿津」或は新橋駅前桜田小学校裏「多喜」の方が飲み屋風のそば処だけど佳味である。巴町の「砂場」は大きなビルの一部になって仕舞ったので昔の風情が失くなり残念だが黒御影石をふんだんに使った店内に負けないだけの味は出して居る。
 さて、東京のそば好きに聞いて見ると、環7は豊玉陸橋近くの練馬は「明月庵田中屋」の名が挙げられる。此処も昨年立派なビルに建替えられたので、私は古い店の時代は知らないが、この店の白いもりそばは秀逸だ。残念ながら汁は少し特色がなく散漫な気がする。
 地元の人ではこの環7の田中屋よりも豊島園裏東第2通用門通りの「田中屋」の方が旨いと言う人が居る。確かに豊島園裏の「田中屋」のそばは色が少しばかり濃くてそばらしい色がしており、腰がしっかりしていて旨いそばだが、そばの長さは短か目で太さも多少ばら付いている。それに汁は相当甘目で締りに欠けていると思う。然し、このそばと汁の組合せはそれ相当にバランスが取れて居るので、この方がそばらしいと言う人があっても、それは好みの問題で人それぞれだと思う。だから私の好みとしては環7の田中屋の色白でスラリと細長いそばの姿形の良いのと食べ味の品の良さの方に軍配を挙げたいと思う。喉越しの爽快感(かっぽじり感)はそれぞれに良く、これは良い勝負かも知れない。豊島園のもう少し先に「民芸そば仁作」という店がある。矢張り手打で良い線を行って居る店だ。
 さて、環7の更に外側の環8近くは荻窪の中央線の線路端に本むら庵がある。自家製粉石臼挽「御免蕎麦司本むら庵」と名乗って居るが、田舎家風の立派な風格のある店構えで、大変繁盛して居る。此処店のそばはそば掻きと共に大変風味の有る佳品だと思う。御免そばと言うと鴬谷の駅改札口脇の「御手打天下御免公望荘」を思い出すが、此処の御免そばは頼んでから30分位掛るが、味は厳しいそばだなと思うものの、旨いんだかそうでないのかちょっと判らぬと言う不思議なそばだ。先の本むら庵のもう1つ先の駅西荻窪の北口前には小さいけれど「手作りそば藤盛」という立派な店がある。註文を2つ以上すると店表の女性が「何番さんもり1枚に御替りにそば掻き…!」と調理場に通し、時間的に順序良く食べさせて呉れる。柏の「竹薮」の一番弟子とされている人の店だけの事はある。近々赤坂に出て行くそうだ。
 中央線の反対方向は総武線に平井駅前通りには「無窮庵増音」がある。そばも良いが、むしろそば掻きは東京では一番ではないかと思う。その少し先の本八幡には一茶庵系禅味会グループのボスの店があるが、此処はもう千葉県に入って仕舞い今回の23区編からは外れるので次の機会に述べるが、このグループで都内にある店としては高島平の「風流手打そば脚座敷山饌」、練馬区桜台の「禅味手打そば御座敷山禅」という店がある。味はしっかりした仲々のものである。それぞれ商店街を離れた住宅街の中にポツンとあるが、いずれも根強い贔屓が居る様だ。
 目黒駅近くの「一茶庵」は足利の一茶庵系かも知れないが下駄箱があって座敷に上って食べるのだが仲々のものである。その先の白金台は迎賓館のもう少し先の「利庵」は細目のそばらしい立派なそばを食べさせて呉れる。そばスープも佳味である、と言う事は汁も良いと言う事である。
 東名用賀入口近くには「石臼挽自家製粉手打そばきのや」がある。店の作り、庭、池等申し分なく、味も仲々である。
 湯島3丁目三組坂上にある手打古式蕎麦は付け汁が大根おろしの絞りじるに生醤油という変わったものであるが、これをやゝ色黒のそばにからませて食べると、なんとも爽やかな後味である。これは福井県武生市の老舗「うるしや」のおろしそばの系統なのかも知れない。
 神田神保町の「宮内庁御用達出雲そば本家」は本格的手打ではあるけれど、小さい容器を幾つも重ねた割子そば(盛岡のわんこそばに似ているとも言える)の上から汁を掛けて食べる食べ方は関東風でなく爽快とは言えない。その外に、恵比寿駅前には「信州戸隠そばなつ樹」という店がある。そばの葉を打ち込んでいるとの事であるが、仲々である。
 私は茶そばというものは、本来のそばの感触と違うものなのであまり好まないが、京王線明大前からほど遠からぬ所に「銀座満留賀茶そばいな垣」という店があるが、此処の茶そばは仲々行けると思った。もり2枚を頼むと1枚は御替わりとして1枚目を食べ終わった頃に出して呉れるのはそば道を心得た心遣いだ。
 向島にいかだ流しそば「美船音(みふね)」という店がある。カウンターに座ると目の前を水が勢い良く流れていて、これに註文した品が小さい木の板(これが筏のつもり)に乗って流れて来る仕組である。味は大旨本格的手打だが仲々のものである。
 最後に、東京では一番変わったと言うか、面白いと言うか、普通のそば屋さんと全く様相を異にする店2軒として、半蔵門の「三城」と馬喰横山町の「江戸前手打そば納札亭」を挙げて置く。
 以上は私が都内で行った店を全て書き出して居るのではなく、原則として合格点を附けた店に限ってある(一部には批判的な店も例外として出したが…)。それにしても、まだまだ行かねばならぬ店が沢山リストアップされて居る。
以 上

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