蕎麦開眼

 弁護士も仕事柄各地を訪れる事が多い。
 私が静岡家庭裁判所島田出張所に出掛ける様になったのは、焼津出身の女医さんの依頼で、その祖父死亡に伴ない発生した遺産分割協議の調停とそれに引続いた審判に申立の相手方として参加する為であった。この事件は既に足掛6年にもなるのに、内容的には殆ど何等の進展が見られないので、この事件に関与していた静岡の弁護士さん二人の内一人は辞任してしまい、もう一人も全く出て来なくなり、弁護士は結局一番遠方の東京の私だけという、誠に惨憺たる有様になっている次第である。
 然し、私にはこの事件で島田へ行くのが実に貴重な楽しみになっている。それは裁判所の為ではなく、この地に偶然にも素晴らしい「藪蕎麦」という御店を発見したからである。
 私はこの島田へは少し草臥れたイタリア製のスポーツ・カー、フェラーリ308GT4で行くのを常としているのであるが、島田出張所の期日は東京方面から行く私の希望で、大抵午後1時とか1時半に指定されるので、私はその日の昼食を通常東名高速の吉田・島田インターを下りてから街道筋のドライブインか普通のおそば屋さんで摂るのを例としていたのであるが、数年前の春3月の事、例の如く吉田・島田インターを下り島田市街へ向けて、今日の昼飯は何処でやらかそうかと車を走らせていた所、以前から気になっていた店の前を通り過ぎてから、あっと、今日は此処にしなければいけなかったのだと気附いて、あわてて引返して、突当りに竹の植込みのある砂利敷の駐車スペースに車を乗入れたのである。此処が「藪蕎麦」だったのである。
 ところで、この店の入口は二つあり、一つは藪そば由来の竹の植込みの左側から真直ぐ入るもの、もう一つはその更に左にある木戸口右手引違戸であるが、私はこの引違戸をソロリと開けて店内に入ろうとしたものの、一瞬入るのが躊躇されたのである。何故ならば、中は薄暗くてテーブルが一つもなく、ガランとした土間でしかなかったからである。私としては、こりゃあ今日は休みなのかな、それとも店は別の所にでもあるのかな、と全く戸惑ってしまったのである。ところがである、目が少し慣れて来てよく見ると、土間だと思われた所は、実は気持ち良く打水された三和土(たたき)だったのであり、入ってすぐ左手には、竹筒から流れ出る清冽な水を受ける大きな自然石が蹲る様に置かれていて、そしてその先左と突当たりの上框には大きな沓脱石がしつらえられているのである。要するに、広い三和土の左手と突当たりが、それぞれ障子で仕切られた座敷になっている様子なのである。
 私は思い切って、御免下さいと声を掛けると、奥の方から女性の声でいらっしゃいという淀みない返事がかえって来たので、やれ安心と、どうやら気を落着けて、やおら左手の沓脱石に立って目の前の白い障子を開けると、畳座敷に三つの座卓が置かれている部屋なのであった。先客のいない儘に、多少居心地悪く、私はその一つの座蒲団の上の客になった次第である。
 さて、何を註文しようかと、筆で品よく薄書きされた和綴の御しながきを眺めたのであるが、なにしろ初めての店なので、何が旨いのか見当も附かない儘月並みに天せいろを頼んで見たのである。出て来た此之店の天ぷらは普通よくある大正海老若しくは車海老の長いやつではなく、芝海老の掻揚げたものである。なんともプリプリ良く太った生きの良い芝海老であったろうか、それも揚立のあつあつである。これを汁の中に半ば沈めて砕く様にするのであるが、その衣は砕くと言うよりは箸先が軽く触れただけで見事に崩れ、芝海老が元気に汁の海に解き放たれるが如きなのである。その一、二匹を噛みしめるや、その口中に広がる甘味…、芳醇。それと共に汁のだしが本物だ。なんだか深々した感がするである。私の乏しい経験上最高の佳味である。東京で名高い神田の藪も、天だねは芝海老の掻揚げだが、衣はこれ程絶妙でなく、芝海老も東京風に少し小さく、豊醇感がないのである。汁にも深味がない様に思われるが、これは関東の辛口醤油のせいだろうか。否、本当はだしの筈だ。それにも拘わらず、神田の藪は近年バスの停留所の様な待合所を作る程繁盛して居るのであるから、東京は人が多いと言うべきなのだろう。
 閑話休題、次に肝心の島田の藪のそばの方はどうかと言えば、これが勿論本命なのだが、絶品である。その色はなんだかかすかに威厳を帯びた薄紫色を呈していて、一種のてりがあるのであった。箸先につまんで、先の汁の海につけて、口中に運ぶ。その歯ざわり、硬ならず、軟ならず。その風味、芳香、言わく言い難し。なんらの過不足なく、自然の恩恵であるそばそれ自体(Soba an sich)の味と香りがすると言わざるを得ないものである。先の天ぷらと汁の海で混ぜ合せてこのそばを食する。その豊潤。私は、この日はせいろを一枚お替わりして、静かに引下ったのである。胸中、既にこの次はどの様な世界が展かれるだろうかとの期待を抱きながら…。
 私は此之日迄、日本ソバというものは唯単に簡易簡便な御手軽な食物の代表とのみ思って居たのであるが、此之日の経験で翻然大悟、日本蕎麦に心底から敬意を持つに至ったのであった。
 東京に戻ってから、いろんな人にこの御店の話を何度した事であろうか。そして、ある自称そば通が言うには、今度は蕎麦掻きを試して見ろ、と。私は面目ない話だが、この蕎麦掻きなるものに付いては子供の頃風邪だか腹痛だかの病気の時に、なんだかモソモソしたものを食べさせられた位の印象しかなかったのであるが、次の機会に島田の「藪蕎麦」に寄った時、和綴の御しながきの中にこれが在るのを見い出して(神田の藪にはない、上野池之端の藪にはある)、迷わず「蕎麦掻き」を註文した。然し、その形も、分量も判らないので、店の女性に「そば掻きだけでお腹はくちくなるでしょうか」と尋ねた所、「さあ、若しなんなら、せいろを一枚お替りにしたらどうですか」との事なので、その様に頼んだ。蕎麦掻きは形の良い小ぶりの土鍋に柚子と三ッ葉を添えられて、そば湯中に浮かぶが如く沈むが如くして出て来たのである。汁は触れると熱い徳利に入っていて、念の入った事にはこの汁を受ける小鉢も熱く温められているのであった。この受け小鉢に汁を注ぎ、添えられてある本わさびと薬味、それに削り立ての巾広の削節をこれに加え、さて、このあつあつの蕎麦掻きを箸先で頃合にちぎって、かの汁をつけ口中に放り込む。そば粉の練られた何んとも言えぬ高貴なぬめり。その微かな芳香、削節の甘味、わさびの清々しい辛味。混然とした口福であった。滋味であった。なんだか禅の高僧が食するにふさわしい様な或はそういう人に食べさせたい様な気がしたものである。逆に言うと、このそば掻きを口中にした時、なんだか自分が高められて、禅の坊さんにでもなったかの様な飄然とした気分に包まれたのである。蕎麦にそんな偉大な力があるなどとは、私は知らなかったのである。然しながら、それを知ったのである。私の蕎麦開眼である。その後に出て来たせいろ一枚は、私は御清めの如き気持ちで、有難く頂いたのであった。因みに、後で尋ねて見ると、右の土鍋は京都の赤焼と言うもので、その赤焼のスッポン鍋を蕎麦掻き用に薄手に特注したそうで、徳利と受け小鉢は四国は愛媛県の砥部焼の物を使用しているとの事であった。そば掻きは他店では通常木製のウルシ塗りの天水樋型の容器を使用しているが、土鍋の方が保温力が強いので工夫して見たとの事である。但し、この絶品なる蕎麦掻きは、作る側からすれば頗る付きの力、言葉の本来的意味に於ての腕力と足腰の力が必要なので、充分余裕のある時であっても、一度に三人分を作り上げるのが精一杯との事であるから、心して註文せざるを得ない。この蕎麦掻きにしろ先のそばにしろ、聞けばこの屋の主人は若くして上野池之端の藪で修行し、特にそば打ちに関しては名人上手と言われた上野蓮玉庵の先代に仕込まれたとの事であるから、文句なしである。そこへ持って来て、この店で使われる蕎麦粉は全て裏の粉引小屋で選りすぐりの玄蕎麦から二台の石臼で、その日の必要量だけ自家製粉しているのである。要するにひたすら蕎麦一筋に打込んで居るのである。
 私としては、従って、その後何回かは、金縛りに遭った様に、心して右と同じ註文を繰返したのである。そして遂には、自分一人で味わっているだけでは勿体ないので、その夏休みには家の子郎党を引連れて泊り掛けで、此処のそばを食べに行ったのであるが、仲々口うるさい連中も、旨い、おいしい、とひたすら感じ入っていた次第である。私も、皆んなと一緒だったこの時は、少し目先を変えて天ぷら蕎麦を頼んでみた。天ぷらは例の芝海老の掻揚げであるが、これが真に揚立てである為に、面前に供される時にも天ぷらと汁の間では頻りにプチプチというせわしない音がしている程なのである。この天ぷらを汁の中に解き放ち、そばと共に口中に運ぶ。その豊潤。汁を飲む。その芳醇。
 私は幸せであった。
 実は私は最初の経験で既にこの島田の藪蕎麦は日本一ではないかと確信するに至ったのだが、然し、それが私一人の独断である事を虞れ、会う人毎に「旨い蕎麦屋さん」を教えて下さいと言っては、各人の推薦するそれぞれに優れた蕎麦屋さんを食べ歩いているが、今の所最初の確信を訂正する必要を感じたことはない。
 逆に、既に数百軒のそば屋さんを巡っていると豪語する或るそば通の会社社長に、此処島田の藪蕎麦へ行って試して呉れる様頼み込んで見た。彼は過日島田に杖を曳いて呉れた。その結果を電話で私が「社長どうでした」と尋ねると、彼は言葉少なに言ったものである。
「あそこは日本一だ」と。


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