流鏑馬―古式豊かな馬上の弓術

 私は、目下、日本古式弓馬術協会(武田流鎌倉派)なる流派に属し、流鏑馬(やぶさめ)を行なうようになって5年目となる。
 流鏑馬には大きく小笠原流と武田流の二流派がある。大旨、神社の参道などに距離300メートル弱の馬馳間(うまはざま)を作って、3つの的を立て、これに蹄の音高く疾走する馬上から儀式用の弓で鏑矢(かぶらや)もしくは神頭矢と言われる矢を射放つ、誠に勇壮な奉納神事とされているものである。その装束は、武田流では、色とりどりの鎧直垂(よろいひたたれ)を着用し(現在は大相撲の行事も直垂姿である)、頭に鬼面を付けた笠を被り、腰には太刀を吊るし、両脚には鹿皮で作ったむかさばきを穿く。両手には手袋のような革製の(かけ)、そして、左腕には左袖が弓射の邪魔にならぬように、大きく金糸で家紋を刺繍したビロード製の射篭手(いごて)を着け(右袖は風に吹き靡かせる)、他方、乗る馬にも赤い房飾りの面がい、胸がい、尻がいを着装するという全体として誠に古式豊かな華麗な武者絵となっているものである。
 このように流鏑馬は勇壮にして華麗なのであるが、馬上から3つの的を射当てねばならない。馬上で長い弓(約2.2メートル)と矢(約1メートル)を扱い、これを大きく引くために、手綱を放すと、馬は観衆の人数、どよめきにも煽られて、草食動物の本能として狂ったように逃げの疾走をする。この高速にして動揺激しい馬上で上半身を安定させて弓を引くには、弓の技術より、まず安定した騎乗が出来なければ流鏑馬にならず、落馬してしまえば、ヤブサメならぬおナグサメの卷で終わる次第なのだ。
 馬術と弓術の比率は普通7対3くらいと言われているが、目下乗馬歴8年、弓歴が6年目に入って来て、全日本弓道連盟5段の私には9対1か8対2で、馬の方が恐ろしく感じられて居る状況である。勿論、馬上で姿美しく理想の騎射をするには弓馬の技量は半々のバランスになるはずであるが…。
 馬上の弓術で意外と一番難しいのが、矢番(やつが)えと言って、弓の弦に矢筈を噛み合せる事である。馬上で矢を腰から引き抜き、あの細い弦に、縦線1本の矢筈を、しかも、どのような角度で出るか判らぬまま、手許を見ないで噛み合わせるのは、新人のうちは至難の技である。この修練のためには、西武劇のガンマンが腰の拳銃を引き抜いて早撃ちの練習をするように、地上で何百回、何千回となく稽古を繰り返すほかないのである(俳優三船敏郎氏は、我流派の師範に手を取って教えを受けたが、遂に熟達を諦めたとのことである)。
 矢番えが出来なければ矢を射放つ事はできず、したがって、的中は望むべくもなく、捨矢して、次の的に向けて、再度の矢番えを試みるよりほかない。
 私は、目下、そんな悪戦苦闘を毎年5月5日(こどもの日)熱海来宮神社、9月23日(秋分の日)東京馬事公苑、11月3日(文化の日)近江神宮で執行している次第である。



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